今日は前回お話しした、僕がランニングのタイムで31分の壁を超えた方法の続編になるんだけど、
その次の日のタイムは30分40秒で走ることが出来た。今回の結果には良かった点と悪かった点が一つづつある。
良かった点は、これまでどうしても超えられなかった31分の壁を2回連続で越えられたこと。悪かった点は、前回より50秒くらいタイムが落ちたこと。
今日お話ししたいことはこの二つについてだ。
先ず良かった点の方だけど、限界というは、大抵、一度超えてしまえば次からは簡単に超えられるようになるということ。
どこかで聞いた話なんだけど、特にスポーツの世界では何年も更新されなかった記録が一度更新されたとたん、以前の壁は簡単に破られてしまうようになるらしい。
それは体力や用具の向上という理由もあるかもしれないが、最も大きな理由は精神的なものだという。
例えば、ある日突然、誰かが何年も破られなかった記録を突然更新してしまうとする。すると他の選手たちもその何年も破られなかった記録を簡単に更新してくるようになるんだって。
これは、「なんだ、イケるんじゃん!」という精神的な要素が限界の力を引き上げてしまうかららしい。
実際、僕も何度も挑戦して超えられなかった31分の壁を1度超えただけで、次も31分の壁を超えることが出来てしまった。
要は、技術や能力も大事だけど、最終的には心が決めるってことじゃないかな。
さて、次は悪かった点のお話しなんだけど、今回は前回よりもタイムが悪かった理由は解っている。
それは、今回、僕は最初から最後まで「1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!・・・」みたいに心に刻みつけながら走ったのではなく、50%くらいは英語のリスニングが頭に入ってきていた。
つまり前回に比べると必死さが全然違うってことね。
とはいえ、50秒くらいなら誤差の範囲と言えなくもない。実際、運が悪くて信号に引っかかる回数が多いと、それ以上のロスが発生するしね。
だけど僕は全く違う考え方をしている。
運が良かったとか悪かったとか、それってただの言い訳でしかない。
サイコロでも振ってるんなら運が良かった、悪かったというのは解る話だが、それと同じで何の努力もしないタダの博打に使う言葉だろ!と言うのが僕の考え方だ。
つまり、運が悪いんじゃない、努力が足りないんだ。
今回の僕のケースで言えば、明らかに僕は前回に比べて手抜きをしたのは事実だ。
但しそれは誤差とも取られかねられない程度の手抜きなんだけど、その差はとても大きい。
一体、何が違うのかを一言で言えば、潜在能力を使ったかどうかだ。
前回は僕の心の声が聞こえる人がいたらめちゃ気色悪かったことだろうというくらい、最初から最後まで「1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!1㎝!・・・」と一歩一歩心に刻みつけるような走り方だったのに対して、今日は英語のリスニングが頭に入ってくる程度の意識でしかなかったからだ。
以前、僕は一番可愛がっていた社員にこういうお説教をしたことがある。
「お前は休日だろうがなんだろうが、一番にお客さんを取ることを考えて一生懸命によく頑張ってくれている。だけどな、一生懸命にやるということと必死になるということは次元が違うんだ。これがお前と俺の決定的な違いだ。それを理解出来れば、簡単に俺なんか超えていってしまうことが出来るようになるはずだ。」
厳しい言い方だったんだけど、彼は僕が伝えたかったことをちゃんと理解してくれたような気がする。
必死になるって、無我夢中で周りのことが全く見えなくなるよね。つまりそれは潜在能力が働いているからではないんだろうか。
まぁ、僕はそういう心理学的なことを専門としているわけではないんで、全て僕自身が実際に考え、実際に行動し、実際に経験をして得たことから導き出した方法だ。
それでも僕はよく人から、そういうことを色んな人たちに教えてあげてはどうかと勧められることも多い。
だけど僕は今のところ、あまり乗り気ではない。何故ならハッキリ言って、こんなもん教えてもらったって簡単に出来るようになるもんじゃないと思うからだ。
口で教えて簡単に出来るほど甘いもんじゃねーよ、バカヤロー!というのが本音だ。結局のところ、やるかやらないかは本人次第。
限界とか壁なんてもんは、超えたいと思う人は超えればいいし、面倒臭せーなーと思う人は挑戦しなくていい、自己実現の欲求なんてそんなもんじゃないかな。
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